失敗続きからファンタジー作家になるまで
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初めての仕事は弔電を打つことでした。 大学教授であり抽象画家、そして建築家でもあった私の先生は人脈も幅広く 仕事場が自らが主宰されていたESPA(創造の部屋)の事務局でもあった 関係で、いろんな人が出入りされておりました。 入所、初日。その内のどなたか(名前は記憶していません)が亡くなられ、 先生の奥様から「すぐに弔電を打つよう」と電話が入り、新入りの私にその役 が回ってきたわけです。 皆さんは弔電を打たれたことありますか? 世間知らずの私は最初、 チョウデンと電話で聞いた時に全く意味が解らず、 最初の仕事というプレッシャーから冷や汗が出て来ました。 その場は先輩の援助でなんとか打てましたが、万事がこのような調子。仕事も然ることながら、 京都の、(周りは田んぼのド田舎にある)実家から、( 僅か8mか10mの距離しかない向い側まで、 途切れない人の流れでなかなか渡れない)心斎橋筋 そのど真ん中にあった事務所までの通勤は 田舎者の私にとっては、なかなか大変で、 なんとか事務所の雰囲気に慣れるまでには2カ月以上かかりました。 ここでの仕事と言えば、先生が建築家であることから 商店街の看板のデザインとか、幼稚園のプールの壁画、それに古いですが 万博の生活産業館のブースデザイン、 小さいものでは化粧品の瓶のデザインがありました。 どれも納期がわりとあって、ゆったり仕事に取り組めました。 といってもほとんどアシストでしたが。 この事務所には、ある事情で1年で辞めることになりましたが。今考えればあと3 年居させてもらって勉強できていたら、と後悔しています。 そこでは毎日が個人授業を受けているようで、訪ねて来られる人も、いろんな分 野の芸術家で 文字どうり(創造の部屋)でした。ああ残念。 |