失敗続きからファンタジー作家になるまで
(夢のない高橋宣孝物語?) その3

   初めての仕事は弔電を打つことでした。

大学教授であり抽象画家、そして建築家でもあった私の先生は人脈も幅広く 仕事場が自らが主宰されていたESPA(創造の部屋)の事務局でもあった 関係で、いろんな人が出入りされておりました。

入所、初日。その内のどなたか(名前は記憶していません)が亡くなられ、 先生の奥様から「すぐに弔電を打つよう」と電話が入り、新入りの私にその役 が回ってきたわけです。

皆さんは弔電を打たれたことありますか? 世間知らずの私は最初、 チョウデンと電話で聞いた時に全く意味が解らず、 最初の仕事というプレッシャーから冷や汗が出て来ました。 その場は先輩の援助でなんとか打てましたが、万事がこのような調子。仕事も然ることながら、

京都の、(周りは田んぼのド田舎にある)実家から、( 僅か8mか10mの距離しかない向い側まで、 途切れない人の流れでなかなか渡れない)心斎橋筋 そのど真ん中にあった事務所までの通勤は 田舎者の私にとっては、なかなか大変で、 なんとか事務所の雰囲気に慣れるまでには2カ月以上かかりました。

ここでの仕事と言えば、先生が建築家であることから 商店街の看板のデザインとか、幼稚園のプールの壁画、それに古いですが 万博の生活産業館のブースデザイン、 小さいものでは化粧品の瓶のデザインがありました。 どれも納期がわりとあって、ゆったり仕事に取り組めました。 といってもほとんどアシストでしたが。

この事務所には、ある事情で1年で辞めることになりましたが。今考えればあと3 年居させてもらって勉強できていたら、と後悔しています。 そこでは毎日が個人授業を受けているようで、訪ねて来られる人も、いろんな分 野の芸術家で 文字どうり(創造の部屋)でした。ああ残念。


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